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  • 04/26/16:47

04.02.01:39

三語:お題「ありがとう、シーラカンス、砂漠」

永い眠りから覚めた時、そこは見知らぬ場所だった。
 ここは、どこだ……平面の世界にいる私は、見える範囲を確認し、隣にいるのが見覚えのあるシーラカンスだと鏡に映る姿で気が付いた。
 シーラカンスとは言っても、絵だ。今は、私と同じように額縁の中に収まり、ひっそりと呼吸を繰り返している。
 隣にいるシーラカンスが顔見知りだとは言っても、コミュニケーション可能なわけではない。絵は、所詮、絵でしかないのだ。絵として、ただそこにある。それだけのこと。
 私は、視界に入るものを識別した。ここは、美術館という場所らしい。
 しかし、この中にいる人間は、私の同胞……つまり絵たちを壁にかける作業をしている。多分、私や同胞たちを観にきたわけではないのだろう。
「あなたたちを、皆に観てもらえる日が来るといいのだけれど」
 昔、私にそう言った女性は、もういない。
 彼女は、私たちをこの世に送り出した人だ。画家であり、新妻だった。
 ちょうど私を描いている頃に、結婚したのだ。
 しばらくの間、私は描きかけのまま放置された。
 部屋の一角でイーゼルに立てられたまま、私は彼女とその夫となった男性を見守ってきた。
 早く描きあげて欲しい気もしたが、もう少しこのままでもいいかという思うもあった。何故なら、幸せいっぱいの彼女たちを見守っていることも、充分に楽しかったからだ。
 新婚生活が落ち着くと、彼女はまた私の元に戻り、絵筆を取った。
 あと僅かで描きあがる……そんな時だ。彼女がこの世を去ったのは。
 シーラカンスの静かな息遣いを感じながら、私は当時のことを思い出し、描きかけのままいなくなった彼女を想った。
「絵のことは良くわからないけれど、これはどっちなんだろうなぁ」
 私をしげしげと眺めながら、作業服を着たひとりの男が呟いた。
 知己らしいもうひとりの作業着の男が「どっちでもいいじゃないか」と軽く笑う。
 実のところ、私にもわからない。
 ただ、本当は未完成なのだということしか、知らない。
 彼女が他に何を書き加えようとしていたのかわからないし、既に画家はこの世にいない。いたとしても、私には尋ねる術がなく、彼女自身は私に名前をつけなかった。
 私に名前をつけたのは、彼女の夫だ。だが、今でも私がそう呼ばれているのだろうか?
「やっぱり、砂漠に太陽が沈もうとしている時なんだろうか」
 正直なところは、わからない。
 けれど、私自身は、これは夕陽だと思っている。まさに太陽が沈みきろうとしている瞬間の、砂漠の風景。
 そう、彼女の夫は私に、描かれている風景そのままに「砂漠」と名づけた。



 いくらじっくり眺めても、私の中に描かれているキャラバンは動きはしない。
 太陽が沈んで、月明かりだけになることも、ない。
 絵は、ただの絵でしかない。それ以上ではなく、それ以下でもない。
 彼女は、この世を去った後に、夭折した女流画家として時の人となった。
 彼女の夫は、大切にしまい込んでいた私の同胞たちを、たまにひっぱり出し、訪れた人に見せたり、しばらくどこかへ預けたりしたが、他人の前に私を連れ出すことはなかった。
 もしかしたら、彼女の遺作でもある私を見るのが、辛かったのかもしれない。あるいは、ただの偶然か。
 何度もひっぱり出された同胞たち……私の隣にいるシーラカンスや、はす向かいにいる春の山の絵などの前には、人が集まっていた。
 これまでにひっぱり出される機会が多かった分だけ、存在が知れ渡っているのだろう。
 シーラカンスの隣でひっそりと佇んでいる私の前で、たまに足を止める人もいる。
 ところが、このところ毎日のように美術館を訪れている客は、必ず私の前で立ち止まり、じっと私を見つめるのだ。
 何かを、問いかけるように。あるいは、探り出そうとするように。
 その客……どこか懐かしく感じられる若い女性は、他の客のように、日暮れなのか夜明けなのかと首を傾げることはない。
 だから、多分その若い彼女が知りたいのは、そんなことではないのだろう。
 前に一度だけ、若い彼女はひとりの男性を伴って訪れた。そう、最初の日だ。この小さな美術館の、オープニングセレモニーの日に、若い彼女はその男性を連れてきていた。
「この絵って、何か感じない?」
 若い彼女は、まっすぐに私の元へ彼を連れてくると、開口一番にそう尋ねた。
「ごめん。絵のことは、よくわからないんだ」
 彼は申し訳なさそうに言って頭を掻いた。
「……だけど、夜の砂漠っぽい絵なのに、そんなに寂しそうな感じはしないね」
 少し不思議そうに彼が呟くと、若い彼女は「そう、それならいいの」とにっこりと微笑んだ。
 あれ以来だから、若い彼女が彼を連れてきたのは、今日が二回目だ。
 手を取り合って、仲の良さそうな雰囲気で入ってきたふたりは、まっすぐに私の前にやってきた。
 私は、毎日のように訪れていた若い彼女の指に、これまでつけられたことのなかった指輪が嵌っていることに気が付いた。
 私の中で、遠い記憶が甦る。そう、画家でもあった彼女が、夫となった男性と結婚する頃のことだ。
 絵を描くためには邪魔だから……そう言って、彼女は装身具の類を嫌っていた。指輪なんて、もってのほか。そんな態度だった。
 けれど、結婚が決まってからは彼女の指には婚約指輪が輝き、それがいつからか結婚指輪になっていた。
 そうか、この若い彼女は、婚約したのか。
 この幸せそうな笑顔は、きっとそうに違いない。
 私は、今は亡き画家の婚約当初の頃を思い出しながら、声にならない声でそっと「おめでとう」と呟いた。
 幸せだからだろうか……常々、若い彼女を見るたびに私は亡き彼女を思い出していたが、今日はいつもに増して似ているような気がしてならない。
 それとも、婚約の少し前くらいからしか亡き彼女を知らないから、今の、この若い彼女を見てそう思うのだろうか。
 おめでとう……私はもう一度、繰り返した。この、若い彼女が、画家だった彼女の分まで幸せになりますように。
「なぁ。この絵、やっぱり今から太陽が沈むんじゃなくて、これから太陽が昇るんじゃないのかなぁ」
 寄り添うようにしてじっと私を見ていた彼が、首を傾げながら若い彼女にそう囁く。
「違うのかもしれないけれどさ。そんな気がするんだよ」
「ううん、私もそう思う」
 嬉しそうに同意した若い彼女が、「だってね」と言葉を継ぐ。
「これを描いている時、婚約して、結婚して……って。幸せだったと思うの。この絵、最後の絵なのよ、私のお母さんの。この時、私がもうお腹にいたんだって」
 あぁ……と、私は彼女の言葉に深い溜め息をついた。
 そう、彼女は幸せそうだった。婚約する少し前の、婚約した頃の、結婚したばかりの、突然倒れる直前まで、彼女は幸せそうだった。
「私が産まれて、すぐにお母さんは死んでしまったから……私の思い込みかもしれないけれど、これは今から夜じゃなくて、これから朝になるんだと思うの。だって、お母さんの生涯は短かったけれど、ちゃんと幸せだったはずなんだもの」
 若い彼女が、亡き彼女と良く似た面差しで微笑む。
 彼が、今までに観たことがなかったのかと若い彼女に尋ねる。
 私は、ここへ飾られるまで、この若い彼女……亡き彼女の娘を、見たことがなかった。いや、娘がいることさえ、知らなかった。
 この若い彼女も、私を観たのは、あの日が初めてのはずだ。
 ……ところが若い彼女は、首を左右に小さく振った。
「お父さんは、この絵を人前に出したがらなかったから、家にあった時には私も観たことがなかったんだけれど……私は、ずっと実物を観たかったの。いつも、笑ってるお母さんの後ろにこの絵が見えているっていう写真だけだったから……これを夜の絵だと思ったら、暗くて寂しく観えるかもしれないって、お父さんは変に心配しすぎちゃったみたい。人生に絶望している絵って思っちゃうと、私が落ち込むんじゃないか、って」
 シーラカンスの絵をしばらく鑑賞していた一組の客が、若い彼女と彼、そして私を避けるように、次の絵へと足を進める。
「愛する奥さんが残してくれた娘、だからなぁ。もちろん、心配もあるだろうけれど、お前に変な誤解をされるのが怖かったのかもしれないな」
「うん、そうかもしれない」
 顔を見合わせて、微笑みあったふたりが、再び私に視線を向ける。
 そっとお腹に手を当てて、若い彼女が「ありがとう、お母さん」と私に囁いた。
 亡き画家の、若い彼女の母親とただの『砂漠』の絵でしかない私を、重ね合わせているのだろうか。
 いずれ、この若い彼女は、画家だった彼女の孫を連れてまた私の元を訪れるだろう。その時に、まだ私が存在していれば。
 おめでとう、そして、ありがとう……私も、彼女には聞こえない声でそっと呟き、もう一度強く願った。
 どうか、彼女の分まで、この若い彼女が幸せでありますように。

*****

某所に保存してあったものを、転載。
メモによると、2007年1月。所要時間はメモしていなかった。
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